I left my heart in SanFrancisco 5

ヨセミテ国立公園へはなんといってもサンフランシスコから自分たちで車を運転していくのがベストだとアメリカの友人が言っていた。公園内は広いのでヨセミテ大自然の真髄を味わうにはハイキングかトレッキングに限る。
キャンプをしながら2日~3日間は滞在しないとすべてのスポットを堪能することはできない。 それぐらい広大なところだ。
海外旅行にいったら元を取ろうなんて思ってはいけない。 欲張れば欲張るほどハイリスクになる。なんて殊勝に思えるようになったのはつい最近である。若いときはそれなりにセコかった。辞めりゃいいのにヨセミテ日帰りツアーを実行したのである。
サンフランシスコからヨセミテ入り口までネットで調べたところ約210マイル、時速60マイルで走れば3時間半くらいで行けそうなものだが、今とあの当時では道路事情もちがうし、なんせわかいねーちゃんふたりのへっぽこコンビである。
ナビなんて当然ない、地図をみながら、人に聞きながらの寄り道ドライブで半日以上かかった。
80号の高速を降りたら、車線道路になったりカーブが多くなったり、真っ直ぐな道しか想像していなかった私たちにはけっこうハードだった。
なんとかヨセミテ国立公園にたどり着いたときには、ふたりともへとへと。
もともとは、ヨセミテからレイクタホまで足を伸ばし3日滞在する予定だったのに、わたしのスーツケース事件で計画は大幅にくるってしまっていた。(T T)
美しいヨセミテバレーを前にして、わたしは無理やりここへたどり着いたのがなんだかとても悲しくなってしまった。 旅は、もっと繊細なはずだ、非日常の中で 興奮、喜び、出会いがあり癒され、また次の活力を得ていくものではないだろうか?
ただ、あそこヘ行った、ここへ行ったという自己満足を追求するものではなかったはずだった。
ここまで来てわたしは充電どころか完全に放電してしまっていた。
雄大に聳える岩山と岩肌、中へ踏み込めば未知の自然に出会えるだろう・・なのに歩く元気もないのである。
「後悔」という言葉を使うときは必ずこのときの感情が蘇ってくる。 あれから何回か知り合いと 「ヨセミテ 行ったことあります? きれいなとこですよねぇ」という話題になったときには
「ほんとですよねぇ。美しいとこでした。」などと言いながら、決まって胸の奥から苦い思いがわきあがってくるものだった。
ぐるりと公園の外側のドライブコースを一周して2時間余りの時間を過ごし、
「もう帰ろっかぁ?」どちらからともなく言った。
パーキングはハイキングの入り口にもなっている。たくさんのハイカーたちを草むらに腰かけて見送った。
木陰からリスがちょろちょろ出てきた。 なんとはなしに持っていたスナックを餌にして遊んでいたら、レンジャーのお姉さんが飛んできた。
「リスの中には狂犬病をもっているものもいるんですよっ! 食べ物などを見せびらかしていたらクマに襲われます。それにここでは小動物に餌を与えると罰金です!」
2人とも突然英語が理解できないふりをしたのは言うまでもない。

てるさん、わたしの分までヨセミテを堪能してきてね!