I left my heart in SanFrancisco 4

昨日の台風18号がすごかったですねぇ! みなさんだいじょうぶでしたか?
別府の友人の車は朝フロントガラスが割れてたそうです。 コワッ!
東京も風がすごかったです。 わたしは自転車に乗っていてメガネが飛んでしまいました。壊れなくてよかったぁ!
猪鹿BARマスターは華麗に自転車で転んで足を怪我していました。台風のせいじゃないと思うんだけどね。(^^;

いやぁこの「落ち」で終わろっかなぁと思ったけどエピソードも含めてぼちぼち更新します。 この時の旅行記をまともに書いたら後日談も含めるとたぶん30話くらいになってしまう。 これまでの3話だってかなり内容をはしょって書いている。
今 こんな旅をしろといわれても多分もうできはしない。
若さと無知はときおり勇気と大胆に間違われるものである。
ただ若いからこそできるのが無謀な冒険なのだ。
この旅でわたしの人生観は180度変わった。 そして「失敗は成功の母」「備えあれば憂いなし」「人生すべて塞翁が馬」
・・・のことわざを身をもって(命を張ってといったほうがいいかも)学んだ旅であったのである。 "r(^^;
だから今でもサンノゼからサンフランシスコ、ヨセミテ国立公園、ラスベガスあたりには特別な思い入れがある。
まさに「思い出のサンフランシスコ」なのだ。(こらこらGSさん、そこで唄わないで・・・)
さて前置きが長くなっちゃった。

無事、サンフランシスコ空港で荷物を受け取った。 それにしてもスーツケースが届いたのがサンノゼじゃなくてよかったよ〜!
さんざん航空会社の過失を責めたおし、サンノゼ空港のカウンターでUS$285.00余りふんだくってしまった前科がある。 しかもそのお金はすでに2人のおなかと肝臓で消化されてしまっているのである。 ここはさっさとトンズラを決め込むに限る。 さっきまですごんでいた勢いはどこへやら、すたこらさっさとカウンターを後にした。 2人で車に乗り込んだとき運転席の友達のあきれはてた顔は、トイレを貸してくれたウェートレスのおねーさんの天使のような笑顔とともにわたしの脳裏にはっきりと刻み込まれている。 ごめんちゃい!
親友を見つけたければ、いっしょに海外旅行にいくといいと誰かが言っていた。 こんなわたしに根気強く付き合ってくれた彼女には今でもほんとうに感謝している。

それからの3日間は、お決まりのサンフランシスコ観光コース、気にいったのは、フィッシャマンズワーフのPier39、木造のショップやレストランが海辺にせり出して並ぶ、別府の海岸開発もこんな雰囲気にすればもっと人が集まるだろ〜にといつも思う。
それから、モントレー・カーメルの17マイルドライブ ラッコやアザラシを見つけながら海岸線をはしる。
街ではケーブルカーにも乗ったし、つづら坂のロンバートストリートも走った。 残念ながらアルカトラズ島へは予約がいっぱいでいけなかったけど、最初の3日間を考えたら夢の中にいるみたいで本当に楽しかった。  さすがは世界有数の観光地! なぁんて書いてるけど、この3日間の観光の記憶は実を言うとあんまり鮮明ではない。 心に深く刻み込まれているのは、やはり数々の失敗の場面、このまま無事に終わるわけがないのである。