Bookworm

「物書き」になるのが、幼いころの夢だった。
いつ頃 其の夢をあきらめたんだっけ?  たくさんの詩を書き溜めたノートは
どこで捨てたんだっけ?

「少年少女世界文学全集」 全36巻 赤いハードカバーに金文字で飾られた表
紙、当時は高価なしろものだったけど、友達とつるんで遊ぶのがにがてな小さい
娘に少ないこづかいの中から 1ヶ月に一冊づつ父親が買い与えてくれた。

毎月 本屋さんが届けてくれるのを心待ちに待った。
アラビアンナイト」「アンデルセン」「イソップ」「小公子」「小公女」「日
本書紀」「三国志」かたっばしから読んだ。
「ルパンシリーズ」「シャーロック ホームズ」探偵物が大好きだった。
次の巻が届くまで1冊を何度も何度も読み返した。当時の年齢には早すぎる三島
由紀夫や太宰治も制覇した。
ますます生意気で口が達者な理屈っぽいガキになった。 
空想ばかりしていて、白昼夢を見るようになったころには「つんぼ」
とあだながついた。
大人や同年代の友達に疎まれてもいっこうに平気だった。 本の中には限りない
可能性と夢の世界が待っていたから。
自分をありとあらゆるものに変えて世界中を飛び回った。 空を駆け、山をくだ
り、大海原に船出をした。
心は自由で、幸福感で満ち満ちていた。

「感情の起伏がはげしく、注意力が散漫です。」 中学生になって通知表に書か
れたコメントを見て両親が心配した。
みようみまねで大学ノートに書き溜めていた詩や小説は、受験勉強を理由に引き
出しの奥に押し込んだ。
授業中に作るストーリー、校庭でみつける登場人物、季節のおりおりに浮かぶう
つくしい言葉、そんなものもみんな机のなかにしまってしまった。
挫折、つまづき、なげやりな気持ち、弱い自分に甘い誘惑、高い山を仰ぎながら
ためいきをついて回り道を選んだ。
選択肢は山のようにあっても自分にできることは限られていた。 努力なんて無
駄だと思った。
いつのまにか同年代の友と同じ平凡な目標をもつ自分になってしまっていた。


「じゃまだけど、重くって、なんとかしてよ!」もういいだろうという風に母親
が天袋の大きなダンボールを指差した。
実家をでた時、唯一残していった荷物、「これだけは捨てられないんだよ。」
宝石箱の蓋を開けるようにいつか又ページをめくる日がくると思っていた。
ダンボールの中にひしめきあっている36個のハードカバーは、多少の湿気でひし
ゃげて、ところどころめくれあがっていた。
一冊 引き抜くとビリーッと音をたててカバーが破れた。
「あ〜あ もうボロボロじゃないの やっぱり捨てたら。」
ページはところどころうす茶色く変色して、開いたとたんにカビとほこりの匂いがし
た。
「なっつかし〜!」 感激するわたしにあきれる母親。
「ここにはねぇ・・ 知らないでしょ。 たくさんの宝石がいっぱいつまってい
たんだ。」心の中でつぶやいた。
「ちびっこに持って帰るわ。」
「え〜こんなの!」
「きれいに拭いて陰干しすればまだ読めるよ。買ったら高いもん。最近 本読め
るようになったしさ。」
「A-ちゃんには少し字が小さすぎるんじゃないの?」
「い〜の、い〜の!」

幼い娘に知ってもらいたい、心は無限大なのだと、どんなに体が束縛されていよ
うと魂は自由に解き放つことができるのだと。
そしてそれは限りない可能性と希望を生み出してくれるものなのだと。
わたしが経験したすばらしいスリルとロマンと冒険と夢の世界を新しい想像力で
楽しんでほしい。
  
綴じ込みのなかから、小さなしらみのような虫が這い出てきて、汚れたページの
上をかさこそと歩いている。
「本の虫」は思い出の一冊の中でひっそりと生きていた。
わたしはそいつをそっとつぶさないように本を閉じてダンボールの中にもどし
てやった。