Fish in the Air

mmin2004-08-25

夕べは窓を開けっぱなしにして寝たら、寒くて凍えそうだった。
「猛暑の年は秋が早いんだ」と猪鹿BARのマスターが言ってました。
彼は、こういう自然の理にはものすごく敏感で、博識な面を持っている。
夜 道に迷っても、☆さえ出ていれば方向がわかるという、獣のような人なのである。
ところが気の毒なことに彼の方向感覚は都会ではことごとく鈍に帰してしまう。
地下道に入れば、方向がまったくわからなくなり、ビルの谷間では目的地を探せず、乗りたい電車に乗るのに1時間を費やし、バスは反対方向に乗るのである。
東京へ来てからの3ヶ月は、「丸の内線事件」「新幹線事件」「京王バス渋谷行き事件」(詳しくはBARに飲みにいって聞いてね)やら、失敗談を肴に酒を飲む毎日であった。
マスターが、ちびっこをどこかへ連れて行こうとすると「パパは、道 間違えるから いや〜だ〜! うえ〜ん!」と泣きだす始末なのである。
雲を追い、風を読み、天候の変化どころか魚の通る道さえ知る自然児の感覚はまったく役に立たなくなり、町の真ん中で呆然と立ち尽くす姿はもはや「陸の魚」「木にのぼったぞう」「山のペンギン」「海キリン」・・・まだまだつづく・・のようなものなのである。(そこまでいうか(--メ)

「だったら地図でももたせたら〜」っと思うでしょう。 ところが地図を持たそうと、メモを渡そうと、自分の感覚しか信じないので始末が悪い。

「日本人の俺でさえこんなに迷うんやから、外国人が東京なんか来たら大変やろな〜!」

「・・・・・」

外国人が東京で道に迷っているのをわたしは見たことがない。 だって、よく気をつけていれば、ありとあらゆるところに道案内やら地図やら、標識やらあるもんね。
「ナビ付いてる携帯もありますよ。」といわれたこともあったけど、そういう問題じゃあないのだ。

だいたい 駅の西口と東口を太陽が昇る方向から見つけようと普通の人は思ったりしない!

昔、太田ひろみちゃんの唄う「木綿のハンカチーフ」というかわいく悲しい歌があった。(年代の違う方ごめんなさい!)
「都会の絵の具に染まらないで帰って〜♪」というフレーズがけなげで好きだった。
お〜 都会にすむと人間まで変わってしまうのかぁ 東京っておそろしいところだ〜と思ってたけど、どんな絵の具にも染まらない人だっている。
最近はだいぶ慣れて迷うことは少なくなったみたい、「帰省本能」が働くのか家にも迷わず帰ってくるようになったし。(俺は犬か!(`曲´)

東京で暮らしていると、どこかで自分の感覚を殺しているようなところがある。 あまりにも敏感だと精神の均衡が取れなくなってしまうからだ。
でもそれはあまりにも危険な気がする。
先日、地下鉄で電線がショートし、火災が発生した、たまたま現場にいあわせた会社の同僚(大分県人)は、走って地下鉄の階段を駆け上がり自動改札を飛び越して外へでたけれど、切符を改札に通そうとする律儀な人や、下から非難している人がいるのに、地下鉄へ降りていこうとしている人がいてびっくりした。と言っていた。
「あれじゃあ、テロなんかあったら、こわいですね。東京の安全対策はぜんぜんなってないというか人間が危険に対してマヒしてるんじゃぁないかと思いましたよ。」

与えられている膨大な情報をすばやく処理する能力と危険を察知する能力、この2つを研ぎ澄ましておかないと都会では事件に巻き込まれる可能性が高い。

其の点 猪鹿BARのマスターは、そういう場面では水を得た魚のよう、俄然本領を発揮するのである。
西口と東口の区別は付かなくても 出口への方向性はものすごく鋭い。 空気の匂いをかぎ分ける能力があるみたい。 
だから「京王線」を「小田急線」と読んでも、「渋谷行き」を「中野行き」と思い込んでも、方向だけは見失わない本能的な強さがある。(ほめてるんだよ〜!)
そこは家族みんなが賞賛するパパがパパたる所以なのであ〜る。(なんか買って!)

早く豊後の海へ帰りたいだろうけど、その強さで都会の空も悠々と泳ぎきってほしい。 風のなかを泳ぐ魚のように・・