Child Care

mmin2004-09-22

子育ては毎日が悩みの連続である。 時には自分に子供を育てる資格なんてないと思うこともある。
ただ愛情をそそぐだけではだめである。 時には厳しく、時には子供の話をじっくり聞いてあげることも必要になる。
自我が芽生えるころと、思春期のときの子育てにはものすごいエネルギーを使う。
でも、それを逃げるとあとで取り返しがつかなくなってしまうこともあることを経験上身にしみているので、力を振り絞って立ち向かうことに決めているけど、それでも時々 子育てに自信を失ってしまうときは人生相談の加藤諦三先生の話を読むことにしている。 一部抜粋・・

子供が「勉強は、いや!」と言った。
母親は「子供は勉強がいやなんだろう」と思った。
子供は「なんとかしてよ」という意味で「いや!」と言ったのに。

子供は「ミルクは、いや!」と言った。
母親は「子供はミルクは嫌いなんだろう」と思った。
子供は「ミルクを飲めるように工夫してくれ」と言ったのに。

この困難の乗り越え方を教えてくれ!
この困難を乗り越えたい!

そうした意味で、子供は「いや!」と言ったのに。

生き方を教えてくれ、
考え方を教えてくれと。


子供が親に愛されていると感じるときはどういうときだろうか。それはこんなことを言ってはいけないとか、こんな事をしたら悪いと思われて嫌われるのではないかとか、泣いたら無視されるのではないかとか、そうした不安がないと言うことだと思う。
自分が欲しいものを欲しいと言っても怒られない、自分がしたいことをしたいと言ってもイヤな子と思われない、嫌いな食べ物を嫌いと言っても相手を傷つけない、それが安心感である。
大人だって同じである。眠いときに「眠い」と言っても失礼と思われない、勉強が嫌いなときに勉強が嫌いといってもバカにされない、怖いときに怖いと言っても軽蔑されない、会社に行くのがいやなときに「会社に行くのがイヤだ」と言っても「だらしがない、弱い」と思われない、それが安心感であり、親しさである。その様に感じるのが愛されているということである。
いや、愛されているとは、自分が実際にだらしがなくて、弱くて、情けなくて、だめなやつと思われても見捨てられないと思っていられることである。自分が実際に怠け者でも相手は自分を好きだろうと思っていられることである。
相手は自分の事を叱っても、怒っても、怒鳴っても、自分のことを好きであるという確信が崩れない。それが愛されているという安心感である。これをしたら相手は自分の事を最低と思うだろうが、でも自分のことを好きだという確信が安心感である。
誰もが弱くて完璧じゃないから、愛し、愛されて生きているのである。
だから「学校へ行きたくない。」「お友達とうまくいかない。」「先生に怒られる。」と泣いたときは、一緒に悩むことにしている。 一緒に泣いて、一緒に怒ってあげることにしている。 だって、自分だって、「会社に行きたくない。」「あの上司とうまくいかない。」「仕事の成果があがらない。」というとき、「なんでそんなことができないの!」「お前が弱いからだ、お前に能力がないからだ!」と追い詰められたら、自分の居場所はなくなり、決してがんばろうなんて思わないと思うから。
弱くて、情けなくて、だめな奴だから、だれかに愛されてやっと前へ進めるのである。
子供も親も人はみんなだれもだれかのケアを必要としている。